市原のあゆみ
(沿革誌)
◎ | 【市原】(いちはら) |
「いちわら」ともいう。千ヶ峰の東麗。東の丹治坂を越すと丹波の成松に通じ、北西の市原坂からは越知谷を経由して但馬の生野に通じる。当地は、こちらの坂道と南北に縦貫する杉原街道の交差点に位置し、中世末期には市原千軒とうたわれた鉱業地で、播磨・丹波・但馬の商人が各地の特産を持ち寄り、市が立ったことから市場と呼ばれ、のち市原になったという。 | |
年 月 日 | 主 な 出 来 事 ・ 沿 革 |
昭和25年10月 1日 | 国勢調査 世帯数63 人口333人(男163 女170) |
昭和31年 7月30日 | ことぶき会発足 生活改善の一環として、結婚式の簡素化杉原谷事務所 天理教市原分教会 |
昭和34年7月 | 市原キャンプ場オープン |
昭和35年11月 7日 | 市原熊野神社において、仔牛品評会 |
昭和37年 5月 2日 | 木登り名人橋本源蔵さんが県林業功労者の表彰を受ける |
昭和43年 7月 | 市原キャンプ場(町指定)使用の心得 届出先加美町教育委員会 または市原区長(委託 市原青年団) |
昭和44年 5月 | 近代桑園造成事業を実施 共同桑園面積 3ヘクタール 桑苗栽培本数 2万本 昭和5年ごろが盛況 |
昭和45年11月21日 | 「木の実とり名人50年橋本源蔵さん」 毎日テレビ兵庫県アワーで放映 |
昭和52年 6月 | 市原交通安全会が発足 「交通違反すれば我が恥市原(むら)の恥」 |
昭和56年4月〜 昭和61年 |
団体営圃場整備事業 (受託面積 1,606ヘクタール) |
平成6年 | 老人会 炭焼き小屋「千峰窯」を復活 消防市原部北播大会優勝 県大会3位 無念全国大会出場ならず「小型ポンプとしては町として初成績」 |
平成7年 | 市原を孝行の発信基地に 「孝行祭り開催」 |
平成8年 | ちょっと照れくさい孝行のメッセージ 全国公募を開始 |
平成12年〜 平成16年 |
坂地蔵から市原峠まで舗装と安全設備カードレールを含み完成する |
平成12年 | 檜ノ本農道「孝行ロード」整備 長さ550メートル 幅4メートル 孝行のメッセージの碑10基 |
平成12年10月 | 21世紀の記念事業 タイムカプセル埋設 2020年1月1日正月開封 |
平成14年 | 山林地積調査「一筆地調査」県下で初調査 約390ヘクタール |